言ってしまえば

現在のトレーディングカードゲームというのは、一つの「世界」(≒箱庭)をプレイヤーに提示することが主流なのだろう。その作り手というのは(主流に則れば)どんなカードを使ってもかまわない、という自由を、「世界」にやって来たプレイヤーに約束しなければならない。難しいのは、その約束にはあらかじめ「すべてのカードを調整し、把握していること」が、さながら見えない不文律として含まれていて、その不可視の一文が読めるか読めないか。その境目が重要な線引きになるのではないか。